退職者の会の概要

退職者の会奈良県支部協議会発足の経緯

 1972年当時の急速な高齢化の進展と異常なインフレの中で、 高齢退職者の老後の安定を確保するため、退職者自らも組織を作 り、現職と一緒になって活動する必要がありとの立場で「退職者 の会」結成の方針が全電通第25回全国大会で確認されました。
 この確認をふまえ、1973年9月に「退職者の会」の全国組織が設立されました。
 その後、全国的に結成の動きが高まる中、1975年5月31 日に会員181名で「全電通退職者の会奈良県支部協議会」が結成されました。結成総会では、①会員相互の親睦交流②年金・医 療・就労などの調査研究・対策の検討③関係各団体との連携・統 一的運動の推進④人間尊重の社会保障制度確立のための運動⑤その他老後の生活安定のための諸活動などの活動基調と「奈良県退職者の会協議会」への加入を決めました。
 そして、初代会長に故茶田四郎蔵氏、事務局長に故神末正夫氏が選任されました。

近畿ブロック連絡会議の発足

 1997年12月1日に全電通労組は電々公社民営化に伴いTNTT労組に衣替えをし、同時に全電通各地方本部を解散しました。
 「退職者の会」もこれにあわせ「NTT労組退職者の会」に衣替えし、地方協議会を廃止し中央協議会と47都道府県協議会の二段階制となりました。
 近畿ではいろんな活動を進める上で論議を行い、近畿的に情報連絡や具体的活動の取り組みの意思統一を行うのがベターとの結論を出し、連絡協議会を立ち上げました。
 会議の開催は、年に3~4回程度で、開催地は近畿二府四県持ち回りで開催され、退職者の会の問題点等について意思統一を図っていくことにしています。

奈良県労働者福祉協議会への参画

 1963年3月29日「財団法人奈良県労働者福祉協議会」が、故茶田四郎蔵氏を初代理事長に迎え発足しました。以来今日まで「県下の全労働組織・全労働者・更には労働者福祉団体が大同団結して福祉活動を力強く推進」してきました。
 具体的な取り組みとしては、金融の「労金」助け合いの「全労済」をはじめとした勤労者の生活支援をしてきました。

労働金庫運動への積極的に参加

 1953年(昭和28年)頃、奈良県として、労働金庫設立の取組みは、全国の中で大変遅れていました総評系・同盟系・中立系等の枠組みを越えて、労金設立に結集し、1955年(昭和30年)1月に設立総会が開催され、3月24日から奈良市高畑菩提町の事務所で、出資金312万円、預金高309万円でスタートされました。
 初代理事長は、故向井長年氏で三ケ月後に二代目理事長として全電通退職者の会奈良県支部協議会初代会長の故茶田四郎蔵氏が就任されました。また、四代目の理事長には木村 実氏が就任され、労働金庫が統合し1998年に「近畿労働金庫」が誕生しました。初代奈良県本部長には宮内 嵩氏が就任されました。
 また、労働金庫の「いきいきクラブ」に多くの退職者の会会員が加入し、カラオケ、ハイキング等を通じて親睦交流を図るとともに、労働金庫運動に積極的に参加しています。

平和運動への活動に積極的に参加

 反戦平和運動を風化させてはならないという立場から私たちは世界の恒久平和の実現を求め、あらゆる戦争に反対する意味で1999年から四つの平和運動に参加することとしました。
 四つとは、①沖縄ピースステージ②広島ピースフォーラム③長崎平和フォーラム④北方領土平和集会であり、奈良県支部協議会として、2001年8月に広島ピースフォラムに、2005年7月に沖縄ピースステージ、また、2007年8月に長崎平和フォーラムに参加してきました。
 また、政治や社会問題等を解決するため国や地域での代表者を送る活動も積極的に行ってきました。

『退職者の会」と『電友会」は共存共栄

 退職者の会が結成される以前に「電電倶楽部」(現在の電友会)と称する退職者の組織がありました。この会は、勤続20年以上又は管理職であった人を会員の条件としていました。(現在は無条件)退職者の会は、管理職であっても加入を拒否しません。何の条件もつけませんでした。
 しかし、第二次世界大戦によって壊滅状態となった電信電話事業を復興させ、更に経済状況や地域社会の発展の中で強く求められた通信事業の発展が「新技術・新機械」の導入により電話の自動改式を中心とする電電合理化の嵐が吹き荒れました。
 この合理化の中で、労組を恨み憎んでいる元管理者。一方管理職を快く思わない退職者が存在する中で「退職者の会」と「電電倶楽部」をどのように位置づけるかが全国的な課題でありました。地域によっては、「敵対関係」においているところもありましたが、奈良県は、「共存共栄」の関係におき、親睦を深めることとしました。